怖い話し
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当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、 行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。
親子兄弟においては、 情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」といった悲惨な状況であった。
天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。
数人の村人がつかまえようとしたその時、 松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、 「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」
口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。
翌日には村中でその話が広がったが、 誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。
その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかった。
翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。
その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配は
なかったとのことだった。
大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、隣村では、遺骸だけではなく、 弱った者から食らったらしい。
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、 牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったらしい。
天保年間の村民台帳を調べたところ、人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当するらしい。
牛骨も家畜の数と一致したらしい。
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