忍者ブログ
怖い話し
[75]  [74]  [73]  [72]  [71]  [70]  [69]  [68]  [67]  [66]  [65
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

62f0c9e8.gif天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。天保の大飢饉である。
 
当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、 行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。

親子兄弟においては、 情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」といった悲惨な状況であった。

天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。
 
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。
 
数人の村人がつかまえようとしたその時、 松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、 「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」
口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。
 
翌日には村中でその話が広がったが、 誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。 

その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかった。 

翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。 

その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配は
なかったとのことだった。

大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、隣村では、遺骸だけではなく、 弱った者から食らったらしい。 

そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、 牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったらしい。

 天保年間の村民台帳を調べたところ、人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当するらしい。
牛骨も家畜の数と一致したらしい。 

PR
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
モノマニア / 株式会社リツメイ・コーポレーション 三井住友カード
バーコード
カウンター
忍者ブログ [PR]